人生に疲れ続けている
大きなドラマがあったわけでもなく、しかし常につきまとう倦怠感
自身は何かしら大きな病気を患ったことはない。人生甘々に生きてきたし、これからもそうであるには違いない最上級あまちゃんであることは間違いない。
そのことを強く恥じてきたこともあったし、翌日にはそれもまた人としての個性だよと自分を肯定し精神の安寧を保とうとしたり、まあ、ブレにブレながら人生を歩き続けている。
自殺を意識し始めたのはいつの頃だったか、最近のトレンドは、「自殺するくらいならもっと色々とやってからがいい」というのが自身の主流であり、積極的に自死を決断しようとすること減ってきた。少なくとも、この意見がまかり通る程度には、自身の精神状態も生活環境も安定している。
しかして、この感覚だって、果たしてこれから先いつまで続くのかはわからない。「色々」というのがあらかた掘り尽くされれば、また意見は変わるのだろうし、この世でもっとも信頼ならない自身のこと、そろそろ見限り始めている。
表題の話。
疲れるというからには、何か頑張ったことの結果副産物、副作用としてのそれがあるべきだと思ったのだけれど、実際のところはそうではないみたいで、何もしてないのに、何もしようとしないからこそ、閉塞感に疲れるというか、疲れるという言葉は案外漠然としていることに気づいてしまうというか。
文を読むのも疲れるし、書くのも疲れる。
これを書いているのだって、目的は広告収入だけれど、それが収入としての程を成すために、自身は一体どれだけの時給換算時間を浪費せねばならないのか。考えるだけで、タイピングする指と文字を捻出しようとしている脳が機能停止に追い込まれそうになる。
わざわざ疲れる方に向かって行く。
疲れる理由を増やして行く。
矛盾と不合理に満ち溢れたブログにしていきたいと思った。
ブログの開設と目的設定
自分に文章が書けるのか、それを他者に読んでもらうのはどういうことかを考えるためのブログ開設。
自身は今現在、暫定的な無職であり、しかし一ヶ月以内くらいには再就業をすることになると予想される。
しかし働きたくない。
社会人になってからかれこれ十年以上、ついぞ自分は、「大人としての最低限の常識」と迎合することは叶わなかった。
このブログの開設目的は、当ブログが実際に収入源たり得るのか、あわよくば自身の発信する情報が、果たしてどの程度の影響を読者に与えることができるのか、それを確認したいがためのものである。
金儲けのためのそれであるからして、発信する情報は他者にとっても、自身に金銭を発生させてくれる人たちのためにも、ある程度有意義なものにしたいと考えている。
生きるのがつらいとか、自分は社会に不適合な人間だとか、なんとなく世の中に怒り打ち震えているとか、自分は世界基準でもかなりのクズなんじゃないだろうかとか、自分ほどダメなやつはそういないとか、あとちょっとした便利な話題に飢えているとか、そういう人たちに読んで欲しいとは思っている。
下には下がいる、ということを知らしめてやりたい。知らしめられたのなら、広告をクリックしてもらいたい。
ちなみに自身、現時点でアフィリエイトのアの字もわからない。わかるようになったらそれとわかるように、あるいはわからないように広告を貼っていこうと思う。ということで、当ブログの説明とマインドセット終わる。