人生に疲れ続けている

大きなドラマがあったわけでもなく、しかし常につきまとう倦怠感

自身は何かしら大きな病気を患ったことはない。人生甘々に生きてきたし、これからもそうであるには違いない最上級あまちゃんであることは間違いない。

 

そのことを強く恥じてきたこともあったし、翌日にはそれもまた人としての個性だよと自分を肯定し精神の安寧を保とうとしたり、まあ、ブレにブレながら人生を歩き続けている。

 

自殺を意識し始めたのはいつの頃だったか、最近のトレンドは、「自殺するくらいならもっと色々とやってからがいい」というのが自身の主流であり、積極的に自死を決断しようとすること減ってきた。少なくとも、この意見がまかり通る程度には、自身の精神状態も生活環境も安定している。

しかして、この感覚だって、果たしてこれから先いつまで続くのかはわからない。「色々」というのがあらかた掘り尽くされれば、また意見は変わるのだろうし、この世でもっとも信頼ならない自身のこと、そろそろ見限り始めている。

 

表題の話。

疲れるというからには、何か頑張ったことの結果副産物、副作用としてのそれがあるべきだと思ったのだけれど、実際のところはそうではないみたいで、何もしてないのに、何もしようとしないからこそ、閉塞感に疲れるというか、疲れるという言葉は案外漠然としていることに気づいてしまうというか。

 

文を読むのも疲れるし、書くのも疲れる。

これを書いているのだって、目的は広告収入だけれど、それが収入としての程を成すために、自身は一体どれだけの時給換算時間を浪費せねばならないのか。考えるだけで、タイピングする指と文字を捻出しようとしている脳が機能停止に追い込まれそうになる。

 

わざわざ疲れる方に向かって行く。

疲れる理由を増やして行く。

矛盾と不合理に満ち溢れたブログにしていきたいと思った。